テキサスから広がる音楽、テキサスへ向かう音楽
中村政利
「フィールド・オヴ・ドリームス」という映画がある。アイオワの麦畑の中に天からの声が聞こえたと信じて野球場を造ろうとする男の物語だ。1989年という、レーガン=ブッシュ政権の末期に作られたアメリカ映画である。そこではもっともアメリカ的な美徳としての自由の復権と世代を超えた和解と赦しの美しさとが謳われたおり、80年代の米映画のなかでもひときわ光彩を放つ傑作だとボクは思っている。十数年前その映画がアメリカでヒットしていると聞いたとき、「もう共和党政権は長くはないな」との予感をもったものだ。
「フィールド・オヴ・ドリームス・ツアー」とその映画のタイトルをつけたコンサート・ツアーをこの8〜9月に敢行したのはボブ・ディランである。そしてツアーに同行したのは大統領出身地テキサスのふたつのカントリー・バンド。レッドネック・カントリーの大御所ウィリー・ネルソンと先ごろ2度目の来日を果たしたホット・クラブ・オヴ・カウタウン。これって、ボブ・ディラン一流の選挙キャンペーンではないだろうか。分かる人には分かるってヤツね。
「あんな大統領と同郷で恥ずかしい」とは、かわいコちゃん3人組のカントリー・グループ、ディキシー・チックスがイラク戦争直前の2003年3月のヨーロッパ巡業中にロンドンで放送局のインタビューに答えての発言だ。これが同じテキサス出身でもロックやブルース歌手の発言ならたいした問題にはならなかっただろうが、保守的で愛国的なカントリー・ファンたちの目には裏切りとして映ったらしく、テキサス州にとどまらず全米で過剰なほどのバッシングにさらされてしまった。
この一件にブッシュ政権を支える合州国の保守的な体質が象徴的に表出しているのを見逃すべきではない。偏狭な愛国主義。ユニラテラリズムといわれる単独排外主義。全体主義。女性蔑視。家父長制、、、。
CDアルバムやステージ上で無邪気で素朴な田舎娘を演じる3人は、たとえブッシュに対する嫌悪感をあらかじめ感じてはいてもテキサス州内いやアメリカ合衆国内ではけっしてそんな冒険はしなかったであろう。ヨーロッパの各地で見た合衆国の独善と暴力に反対する人々の肉声に呼応して、やむにやまれず出てきた魂の叫びだからこそバッシングする、あるいはそれを受ける意味があるのだから。
カントリー音楽が好きだから、テキサスに住んでいるから、人は保守的になるのではない。自分の住んでいる世界にしか目をむけず、ほかの世界を見渡す眼力や想像力がないからこそ人は独善的な保守主義者となるのだ。そして広い世界を見た人や見ようとする人を排斥しようとするのだ。なぜなら、かれらの存在が自分を寄り立たせている足場を揺るがせるからである。
島田雅彦は「アメリカに一度どん底までおちてもらうよりほかに明るい未来の展望を開く術はない」から「史上最低の大統領が再選され」て「アメリカの没落」が加速することを願うと書いている(10月9日朝日新聞日曜版)。だがボクは、アメリカがどん底まで落ちるのにともなって世界そのものがどん底へと落とされることを危惧する。多くの世界市民同様、イラクやほかの地域で意味もなく殺される子供を一刻も早く減らすために、ブッシュ再選には断固反対である。じつは、おめでたくもあの映画で見たアメリカ的な美徳としての自由を信じているのかもしれない。
さて、今回はそんな保守の牙城であると思われているテキサスの音楽が、じつはさまざまに外部の文化とかかわっている様を5枚のCDを通じて紹介したい。
1、Bob Wills & Texas Playboys “Boot Heel Drag : The MGM Years”
Mercury 088 170 206-2 \3675
もっともテキサスの地域性があふれた音楽として、ウェスタン・スウィングをはずすわけにはいかない。30年代のスウィング・エイジに北部の都会で流行しているビッグ・バンド・スウィングを地域のカントリー・バンドがカントリー音楽で使われている楽器を用いて再現しようとしたのが始まりとされるが、30年代から50年代にかけて独自な発達をとげたのも事実である。この2枚組みCDにはウェスタン・スウィングの代表的な存在であるボブ・ウィルスの最充実期である40年代後半から50年代初頭にかけての代表曲50曲が収録されている。
なにより驚かされるのはその雑食性だ。ワルツ、バラード、ブギ、ブルース、ジルバにわらべ歌にディキシーランド。踊って楽しいというキーワードさえあればなんでもアリの世界。R&Bやロックンロールの萌芽といえるような曲さえ存在する。そして楽器のソロの奔放さ。ギター、スティール・ギター、マンドリン、フィドル、バンジョー、ピアノなどが悪乗り一歩手前でアンサンブルと絶妙の駆け引きを演ずる。裏声や掛け声を交えたヴォーカルが輪をかけて放埓。おそらく同時代の音楽のなかでもニューヨークのルイ・ジョーダンらと並んでもっとも自由な表現を誇ったのがこれらの演奏ではなかったろうか。
2.Cathy Fink & Marcy Marxer With Brave Combo “ All Wound Up!”
ROUNDER KIDS 82161-8092-2 \2100
ワシントンDCを拠点とするアメリカ版「歌のおねえさん」、キャシー&マーシーがブレイヴ・コンボと組んで作った意欲作。ブレイヴ・コンボは結成20年を超えるテキサスのポルカ・バンド。いまや合衆国を代表するポルカ・バンドだと言ってよい。合衆国の曲にとどまらず世界各地の民俗ポップスをポーランド起源のポルカのリズムでブカブカと料理し直すことに定評がある。日本の歌謡曲ばかりをカバーしたアルバムまであるくらいだ。子供たちむけの曲づくりを得意とするキャシー&マーシーが、たまたまステージを共にしたブレイヴ・コンボのポルカのリズムに子供たちが熱狂的に反応するのを見て思いついた企画。世界じゅうの音楽を手玉に取って自分たち流の音楽を造り上げるという意味ではこの二つのグループの志向は完全に合致している。ポルカはもちろん、アフリカン・ダンス、チャランガ、カリプソ、ケルトにマリアーチにイスラエル民謡、、、。居ながらにして世界旅行をし、世界のことばを学び、民族リズムを楽しみ、民族楽器に親しめるという趣向。「対象年齢:2〜99、この音楽を気に入れば、これはあなた向けの音楽です」というメッセージもこころにくい。「ねじ巻き完了」のタイトル通り万人に元気を与えてくれる子供むけのアルバム。
3.VA “The Best Of Cumbias (Texas Style)”
EMI LATIN H2 42703 \1890
ポルカの次はクンビアだ。テックスメックス(メキシコ系テキサス人)のナイト・ライフがラテン音楽によって彩られていることは想像どおりだが、はるかコロンビア起源の2拍子のダンス音楽クンビアが盛んだとはこのアルバムを見るまでは思いもよらなかった。つくりのチープさは本家と似たり寄ったりだが、ここにあつめられた12のバンドの演奏は、そのどれもが地域性を反映してかコロンビアのクンビアよりはるかに脳天気で乾いた感じ。ラムよりテキーラがよく似合うと言えば、すこしは雰囲気がつかめるかもしれない。この流行はガルフコースト(メキシコ湾岸)から海を越えたかなたのコロンビアの船乗りたちによってもたらせられたものではけっして無いだろう。1960年代の中頃メキシコのカルメン・リベラ楽団などを筆頭としてクンビアが国際的に流行した時期がある。それをきっかけに故国を離れデラシネのように自生し、ここテキサス南部でテックスメックスたちによって育まれ独特の味わいを持つようになったのがこのテキサス風クンビアなのだと思う。あらゆるラテン音楽のリズムのなかでももっとも単純化された2拍子だからこそ汎中南米的な受容があった。すなわちお国柄をもっとも入れやすいラテン音楽がこのクンビアなのだ。そしてその北限がここテキサスである。
4.Kim Wilson “Lookin’ For Trouble”
MCA MC-0049 \2709
オルタナ・カントリーの本拠地として脚光を浴びるのは州都オースティンだが、オースティンを代表する名物バンドとしてもっとも有名なのは白人ブルースのファビュラス・サンダーバーズである。そして30年にわたってそのTバーズを率いてきたのがこのハモニカ入道キム・ウィルソン。キムのアルバムはコンテンポラリーでポップなTバーズのものとは趣向を違えて、ブルースがもっともタフであった50年代を志向する。アンサンブルや奏法、音色にいたるまでダウンホームなサザン系ブルースの臭いが充満。これを音だけ聞いて2004年の録音だと思うひとは決していないだろう。最初の曲のイントロのギターの澱みきった音色を聞いただけでボクはもうノックアウト。同じくTバーズのオリジネイターであったジミー・ヴォーンが3年前に出したブルース・アルバムに呼応したものとなっている。デトロイトで生まれ、カリフォルニアで成長し、テキサスへと流れ着いたという、ブルースの流れを逆にたどってきたキムだからこそルーツへのあこがれは人一倍なのであろう。そんなピュアリストとしての性格が生真面目な50年代サウンドの再創造という作業へと向かわせるに違いない。キムにしてもジミーにしてもレトロ趣味が昂じてこんなアルバムを作ったわけではけっしてない。かれらの念頭としているのは50年代のスピリットを受け継ぎ、発展させるということだからだ。
5.Tierra “ Street Corner Gold”
THUM UP THCD 9938 \2709
夜闇に隠れてリオ・グランデ河を渡りテキサスへ密入国したメキシコ人たちが次に向かう大都市がカリフォルニアのロサンゼルスである。英語人口よりもスペイン語人口のほうがはるかに多いというこのLAで、底辺の都市労働者としてこのチカーノ(メキシコ系カリフォルニア人)たちは、チカーノとしての喜怒哀楽を表現する音楽を発達させた。70年代から活躍するチカーノ・バンドこのティエーラが現代において好んで60年代や70年代のセンチメンタルなソウル音楽をカバーするのは、その当時、チカーノたちがスウィート・ソウルと黒人文化に限りない愛着と憧れとを抱いていたことを意味してはいないだろうか。同化したくとも同化できない文化的、民族的な摩擦と葛藤。そんななかでかれらが選んだ方法はほかの誰もできないくらいにスウィート・ソウルをさらにスウィートに狂おしく、せつないまでに昇華させること。ここではドラマティックスやマンハッタンズの有名バラード曲の数々が本家以上の切実さで歌われる。砂糖よりもサッカリンの甘さをもって。これをまがい物として忌避する多くのソウル・ファンを横目に、ボクはかれらの表現にリアリティーを感じ、魂を熱くせずにはいられない。タイトルの「ストリート・コーナー・ゴールド」とは「ストリート・コーナー・シンフォニー」に由来する。それは、50年代、楽器を持たない無一物の黒人の若者たちが街頭に集まってドゥーワップ・コーラスから音楽を始めたことを意味している。